期待のネット新技術
自動車用ネットワークの標準化(12)「IEEE P802.3 dh」のその後と、車載“にも”使われる「IEEE 802.3cg」
2023年12月5日 06:00
前回までで、おおむね昨今の車載用Ethernetの新しいものについては網羅したと思うが、前回の最後でまだTimeLineが定まっていないという話をしたので、これのUpdateだけ簡単に説明しておきたい。
- IEEE 802.3bw 第1回:「BroadR-Reach」および「100BASE-T1」と「IEEE 802.3bw」
- IEEE 802.3bw 第2回:1000BASE-TそのままのPMAと未決定のコネクタ
- IEEE 802.3bp 第1回:100BASE-T1標準化前から動き出していた1000BASE-T1
- IEEE 802.3bp 第2回:1000BASE-T1の標準化と現在の製品化
- IEEE 802.3ch 第1回:車載LANマルチギガ化の議論スタート
- IEEE 802.3ch 第2回:策定までと今後の2.5G/5G/10GBASE-T1実装の見通し
- IEEE 802.3cy:自動車メーカーからの提案から策定完了まで
- IEEE 802.3cz 第1回:IEEE 802.3czの立ち上げ
- IEEE 802.3cz 第2回:標準化完了までの紛糾ポイント
- IEEE P802.3dh 第1回:波長に関する議論の勃発と先送りされる結論
- IEEE P802.3dh 第2回:標準化までの難航する議論と遅れる結論
IEEE P802.3dhの、2025年中の標準化は不可能
2023年11月1日に開催されたAd-Hoc Meetingはいわば予備ミーティングという感じで、11月15日に行われたPlenary MeetingできちんとTimelineに関する議論が行われた格好だが、KDPOFのLuisma Torres氏(Task Forceの副議長)が示した現状がこちらだ(図1)。
図1は"unapproved"なTimelineであるが、Draft 1.0が7月にリリースされていれば、2025年3月頃に標準化が完了するはずだった。ただ実際にはPMDを考えるにあたって次のような問題があり、現時点でPMDの仕様を定めるのが不可能だとしている。
- 異なる直径のコアを持つファイバーが混在している。
- Encircled Flux(Multi-mode POFをの励起条件を定義する測定基準)やDifferential Mode Delay(異なるモードでPOF内のコアを進む光の伝達時間の差異)を測定する標準的な方法がなく、複数の非標準的な測定方法が林立している
- まだ利用できるサンプルがない
- 細かな問題がまだいろいろある
以上を考慮した上で、順序を立ててそれぞれの作業をこなしていったとしても、PMDの仕様を議論するには最低でも2.5~3.5年かかる、としている(図2)。
そうなると、2025年中の仕様策定は不可能で、2026年にもつれ込むのは必至である。ただ、もともとIEEE P802.3dhのPARは2026年末に無効になってしまう。そこまでに仕様策定が完了するのか? と考えると、Task Forceそのものの存続が問われそうである。
ちなみに、本稿執筆時点ではまだこの11月15日のミーティングのMinutesが公開されていないので、このプレゼンテーションに対するTask Forceの反応などは不明なままである(追記:記事公開前にMinutesが公開された。PAR撤回のMotionが出たが、Failしたようだ。今後進展があれば、あらためて本連載にて紹介するかもしれない)。
ノイズなどが酷い環境で10Mbps Ethernetを利用できる「IEEE 802.3cg」
さて、今回紹介するのは、IEEE 802.3cgである。IEEE 802.3cgは2017年にTask Forceが結成され、最終的に2019年9月に標準化が承認。既に仕様が公開されている。このTask Forceの名称は"IEEE P802.3cg 10 Mb/s Single Pair Ethernet Task Force"で、ここにはAutomotiveの文言はどこにも入らない。
ただ、PARを見ると"5.5 Need for the Project"のところに"Applications such as those used in automotive and automation industries have begun the transition of legacy networks to Ethernet."とある。「自動車や産業機器などで、従来のネットワークをEthernetへの置き換えが起きている」としており、また"5.6 Stakeholders for Standard"にも産業機器とか自販機、システムインテグレーターなどさまざまな業種が並ぶ中に"automotive"の文言が入っており、一応自動車業界も念頭に置いていることが分かる。
Objectiveではもう少し明確に、自動車内の環境で動作することを掲げている(図3)。もっとも、自動車のみを対象にしているのではなく、端的に言えば従来はField Busが使われてきていた工場などのノイズなどが酷い環境で10Mbps Ethernetを利用するための規格であり、そうした環境の1つに自動車内が挙げられている、という格好である。
ただし、IEEE 802.3cgの主目的は、自動車よりもそのほかの工場やビルなど、環境的に厳しい場所での長距離接続にある。実際Objectiveでは、次の項目が挙げられている(図4、5)。
- 転送速度は10Mbps
- 最大1Kmの接続距離
- 25mまでの範囲でBERは10E-10、1Kmでも10E-9を確保
長距離向け「10BASE-T1L」と短距離向け「10BASE-T1S」が策定
最終的に2019年に完了したIEEE 802.3cgでは、長距離(1Km)の10BASE-T1Lと短距離(15m)向けの10BASE-T1Sの2つが策定された。10BASE-T1LはClause 146、10BASE-T1SはClause 147にその仕様がまとめられている。両方の仕様を簡単にまとめると、次のようなかたちになる。
- 転送速度はどちらも10Mbps
- 変調方式は10BASE-T1LがPAM3+4B3T、PAM3+4B5Bとなる(つまり変調方式には互換性がない)
- ケーブルは10BASE-T1LがAWG18ケーブルで最大1000m、一方10BASE-T1SはAWG24~26ケーブルで最大15m
- 接続方法は10BASE-T1LがPoint-to-Point。一方10BASE-T1SはMulti-Drop可
- 通信方式は10BASE-T1LがFull-duplexが基本。対して10BASE-T1SはHalf-duplexが基本で、オプションでFull-duplexも可能
10BASE-T1Lの4B3Tは4bitのデータをPAM3の3シンボルに変換する方式で、こちらはISDNで利用されていた符号化方式である。一方、10BASE-T1Sの4B5BはFDDIとか100BASE-TXなどで利用されていた符号化方式で、4bitのデータを5bitのシンボルに変換するが、これを使うとデータに0が4つ以上続かないので、クロックの同期が容易というメリットがある。
信号そのものはPAM3での伝送なので、4B5Bでオーバーヘッドが25%発生する。それにもかかわらず、PAM3で50%の効率化が図れるということで転送効率は1.2bit/Cycleとなり、10Mbpsの伝送には8.33MHzの信号速度で間に合う計算だ。
10BASE-T1Sはまた、他の規格と比べても低価格で実装できるのがポイントだ。上に示したように、10BASE2/5と同じようにMulti-Dropが可能になっているから、接続デバイス数が増えてもSwitchがそもそも要らない。加えてPHYとコネクタの間にパルストランスを必要とせず、AC結合用のコンデンサで置き換え可能である(図6)。このため小型化と低コスト化を図ることが可能だ。
10BASE-T1S車載向けの対応コントローラ
さてこの10BASE-T1S、2019年に標準化完了と、わりと新しい仕様であるにも関わらず、既にいくつかのメーカーから車載向けの対応コントローラがリリースされている。例えばMicrochipは10BASE-T1S PHYとしてLAN8670/LAN8671/LAN8672を発表済みである。
Broadcomは、PHYそのものはまだだが、10BASE-T1Sに対応したMAC層のコントローラを2020年に発表している。ADI(Analog Devices, Inc.)は10BASE-T1S E2Bを既に展示会などで公開しており、2024~2025年に車載向けの10BASE-T1S搭載製品をリリース予定としている。
なぜこうした製品が投入されているかといえば、昨今の自動車がZone/Domainアーキテクチャを採用し始めていることに起因する。ラフに言えばZoneは「場所」で、例えば車体後部に置かれているもの(トランクの開閉やロック、バックモニター、リアウィンドウワイパー、etc.)をまとめて1つのECUで管理しようという考え方、Domainは機能(ウィンドウ制御、ドア制御、座席制御、etc..)の種類別に管理しようという考え方で、これを適時組み合わせるわけだ。
これまでは、ここにCAN(Controller Area Network)とかLIN(Local Interconnect Network)といったネットワークが使われてきた。CANは高信頼性のネットワークで、それこそエンジン制御とかサスペンション、最近だとアクセルやブレーキなどもこれに該当するが、そうしたものの接続に利用されている。
一方のLINは、ドアミラーとかパワーウィンドウ、ワイパーなど、CANほどの信頼性は不要で、速度もそれほど必要ない用途に低コストなネットワークとして利用されている。ところが昨今はZone/Domain化を進めてゆく中で、基幹となるネットワークをEthernetに置き換えようという動きが活発化している。
こうなると、基幹はEthernetなのにドアミラーはLIN、ということであれば、どこかにGatewayを入れてEthernetとLINの変換が必要になる。であればLINと同程度のコストで実現できる低速なEthernetを使えば、ゲートウェイが必要なくなり便利というわけだ。
実際ドアミラーの制御であれば、50Kbps程度の速度があれば十分だし、そもそもエンジンなどと違って全てのデバイスが常時動いているわけではない。なので、ドアミラー以外のデバイスをたくさんつなげても、10Mbpsあれば十分お釣りが来るというわけだ。
車載用Ethernetというと語弊があるが、車載“にも”使われるEthernetという位置づけであれば、今後広く使われてゆくと思われるのがこの10BASE-T1Sであり、しばらくの間は、これを置き換える規格も出てこないだろう。