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そこはGoogleマップ未踏の領域!? 海の地図アプリ「ニューペックスマート」が本気すぎて法定備品に認可

 「地図」は地上を移動する人や車にとってなくてはならないものだが、それと同じように、海上を移動する船舶にとって必要不可欠なものが「海図」である。海図の備え付けの義務は小型船舶にもあるが、紙の海図の代わりとして使うことを認可されたスマートフォンアプリが存在する。株式会社マップル・オンのiOS向け航海支援アプリ「new pec smart(ニューペックスマート)」だ。今回は、7月15日の「海の日」にちなんで、この“海の地図アプリ”についての話をお届けしよう。

日本水路協会の「航海用電子参考図 ニューペック」をiOSアプリで完全再現

 ニューペックスマートは、2018年3月にリリース。その後、2019年2月、日本小型船舶検査機構(JCI)によって、沿岸小型船舶に備える海図の代替設備として定める要件を満たしていることが認められ、法定備品(海図の代替設備)として認可を受けた。これにより、海岸から5海里までを航行する「沿岸区域」の小型船舶であれば、法定備品として搭載が義務付けられている「海図」の代わりにニューペックスマートが利用可能となる。

 さらに同アプリは、これまで月額3800円で提供されていたが、7月1日から月額960円と大幅に値下げされて、より魅力が高まっている。

「ニューペックスマート」

 ニューペックスマートは、一般財団法人日本水路協会が提供するWindows用ソフトウェア「航海用電子参考図 new pec(ニューペック)」を完全再現した航海支援アプリだ。日本水路協会は、海洋に関する調査研究のほか、海上保安庁が刊行する海図や航海用電子海図の複製・頒布事業を請け負っている組織で、同協会が独自に整備しているニューペックは、沿岸域で活動するプレジャーボートなどの小型船舶において、PCで手軽に利用できるソフトとして広く利用されている。また、PC版のほかにも、さまざまなメーカーにライセンス供与しており、「GPSプロッター」と呼ばれる魚群探知機のベースマップとして活用されている。

PC用の「ニューペック」

 水深や防波堤などの人工物の変化は、航海に大きな影響を与えるため、海図は常に最新の情報が求められる。ニューペックスマートについても、その情報源となるニューペックの最新データをもとに更新が行われる。このニューペックは、海上保安庁が刊行する海図をもとに、海上保安庁が毎週発行している「水路通報」などの最新情報を日本水路協会が収集し、その情報をデータに反映して更新が行われている。

船の航行に不可欠な「海図」とは? 陸の地図とはどこが違う?

 では、ニューペックのもとになっている「海図」とは、そもそも一体どのように作成されているものなのだろうか。

日本水路協会の常務理事を務める芝田厚氏(左)、営業企画部長の小嶋哲哉氏(中央)、電子出版部長の若松昭平氏(右)の3名にお話をうかがった

 「陸地の地図は、国土地理院だけでなくさまざまな民間企業が作成していますが、日本の海図作成機関は海上保安庁だけであり、表記方法なども国際的に決められた万国共通のルールに則って行う必要があります。一般的に海図というと“航海用海図”を指しており、船が航海する上では必要不可欠なものです。自分が乗っている船が今どこにいて、深さはどれくらいで、船底をこすらないかどうか、安全かどうか、ここからどのように進路を取れば目的地へたどり着けるのか、それを示すためのものが海図です。」(日本水路協会常務理事の芝田厚氏)

 海図(航海用海図)には、陸地の見える範囲の沖合を航海するときに使用し、船の位置などを陸上の目標物などで決定できる「航海図」(縮尺30万分の1~100万分の1)、沿岸を航海するときに使用し、水深や地形、目標などを詳細に記載した「海岸図」(縮尺5万分の1~30万分の1)、港湾への出入港や停泊時に使用し、港湾内の水深や地形、港湾施設などの状況を詳細に記載した「港泊図」(縮尺3千分の1~5万分の1)のほか、長い航海に用いられる小縮尺の「航洋図」や、地球上の極めて大きな区域を1つの図に収めた「総図」などがある。

 国土地理院の2万5千分の1地形図などと異なるのは、縮尺が統一されていないことだ。紙海図の一般的な大きさは1085×765mmで、新聞紙を広げて2枚並べたのと同程度であり、このサイズは全紙と呼ばれる。このほかに全紙の2分の1、4分の1サイズもあるが、同じ全紙でも、1枚の紙に1つの港湾のエリアがまるごと入った図として描かれるため、エリアによって縮尺が異なっている。

全紙サイズの海図

 陸の地図よりも紙のサイズが大きめなのは、見るだけでなく、さまざまな情報を書き込んでいくことを前提としているためだ。船が進むルートを書き込むほか、海図が刊行されたあとに、灯台の移設や防波堤の延長、海底の浚渫などが行われると、水路通報や航行警報などで情報が周知されるので、航海者はそれをもとに新たな情報を書き足していく。

 海図が陸の地図と最も大きく異なるのは、海のさまざまな箇所に記載されている水深だ。海上保安庁は、海図作成のため、音響によって水深を測ることができる測量船を使って定期的に日本全国の海上を航行し、位置情報と水深、底質などを調査する。測定した水深について、計測した時点の潮位をもとに補正し、それを海図に載せている。また、港湾では自治体等から委託された民間業者が港湾の海底状況を把握するため、同様な方法で調査を行っており、これらの成果も海図に載せている。

 底質についても、船が錨を降ろすために欠かせない情報であり、海図上に「M(泥)」「(MS(砂まじりの泥)」「S Sh(貝がらまじりの砂)」などと記載される。また、錨を降ろしてはいけない区域や、湾内に入るときに通るべきルートなども海上に描かれている。陸地と違って海上には道路も建物もないが、このように海図には至るところに水深を表す数字や底質、船が進むべきルートがぎっしりと描かれているので、見た目は実ににぎやかだ。

さまざまな情報がぎっしりと記載されている

 なお、陸の地図と大きく異なるのは、垂直方向の基準面として、「水深の基準面」と「山や施設の高さの基準面」との2つがあることだ。水深の基準面には、最低水面を採用している。これは、海図を使う目的として特に重要なのは座礁を防ぐことであり、干潮時でも水深に余裕を持って航行できるようにするための配慮だ。一方、山や施設の基準面としては、平均水面を採用している。

 海上にぎっしりと情報が掲載されている一方、陸地の部分の情報はかなりシンプルだ。航海に使うものなので、細かい家形(施設の形)などは必要ないし、かえって煩雑になって見づらくなるため、地上の施設はかなり省かれている。ただし、山や灯台、煙突など、海上から見て目印になるような施設や地形についてはしっかりと描かれている。海図に載っているこれらの目標物と、実際の景色とを照らし合わせることで、GPSが無くてもおおまかな現在地を把握することができる。

 なお、海上保安庁は、紙海図に記載されている情報のデジタル版である「航海用電子海図(Electronic Navigational Charts: ENC)」も提供している。ENCはライセンス制で、大型船などに搭載されている電子海図情報表示システム「ECDIS」などで利用することができる。

日本水路協会では、窓口で海図を販売している

ヨットやプレジャーボートなど沿岸小型船舶向けの「Yチャート」「Sガイド」そして「ニューペックスマート」

 このような紙海図やENCは大型船向きで、プレジャーボートやヨットなどの沿岸小型船舶用としては使いづらい面がある。そのために日本水路協会が提供しているのが、前述したニューペックだ。また、ニューペックのほかにも、ヨット・モーターボート用参考図(Yチャート)、プレジャーボート・小型船舶用港湾案内(Sガイド)といった簡易的な図も提供している。

 これらは航海用海図をもとに作成されてはいるものの、海図とは異なり、細かい水深の数字が記載されていない。ただし、等深線が描かれているため、それを見ればおおまかな深さは把握できる。また、小型船は広域に沿岸域を航行するため、定置網の位置などの情報も記載されている。

 いずれも正式な海図ではないが、2004年の「小型船舶安全規則」の改正にともなって、国土交通省から、沿岸(海岸から5海里まで)を航行する小型船舶が備えるべき参考図として指定を受けている。対象船舶は海図の設置義務が免除され、ニューペックやYチャート、Sガイドを搭載していれば海図は不要となる。

 そこに新たに仲間入りしたのが、iOSアプリのニューペックスマートだ。スマートフォン用としては初の認可となる。

はじまりは釣りGPSアプリ「海釣図」、そしてMVTでベクトルタイル化へ

 ニューペックスマートの開発・提供を行っているマップル・オンは昭文社のグループ会社で、過去にもニューペックのデータをもとにしたGPSフィッシングアプリ「海釣図」をリリースしている。同アプリは、ニューペックに掲載されている情報の中から、等深線や魚礁、航行の安全に必要な暗岩・洗岩・干出岩や危険界線などを抽出して掲載した海釣り用の地図アプリだ。ボートの軌跡や釣果の良かったポイントを釣行として記録したり、潮汐情報や風・波予報を調べたりすることができる。

 同アプリを企画したのは、マップル・オンの取締役を務める高澤宏光氏。高澤氏は釣りを趣味としており、自ら動力付きボートを操って海釣りを楽しんでいる。海釣りでは魚礁を探すのに海図を参考にすることがあることから、海釣図のアイデアを思いついたという。

 「当時、日本水路協会さんと武揚堂さんが共同で作成した『海陸情報図』という地図があり、私はそれを海釣りの参考にしていました。これはニューペックと陸の地図を組み合わせた地図で、海底地形や魚礁の場所などが掲載されていました。それを見て、地図会社のグループ会社であり、アプリ開発の技術を持つ当社であれば、このアプリ版が作れるのではないかと思い、生まれたのが海釣図のアプリでした。」(高澤氏)

「海釣図」アプリ

 海釣図は魚礁や根、マリーナなどの位置が分かるほか、自分で発見した釣りポイントを保存したり、航海のGPSログを記録したりできる。ハレックス社が提供する気象予報データをもとにした海況予報など、海釣りに役立つ豊富な機能を搭載しているが、地図データがラスター画像で、エリア別に用意しているため、行動範囲が広いと切り替えが面倒で、更新コストも高いことが課題だった。

 このような課題を解決するため、海釣図の地図データをベクトルデータ化するプロジェクトが始まった。開発を担当したのは、マップル・オンのエンジニアである柴本歩氏。柴本氏は、オープンソースの地理情報ソフトウェアを意味するFOSS4G(Free Open Source Software for GeoSpatial)のカンファレンスイベントにおいて、バイナリ形式のベクトルタイルである「Mapbox Vector Tile(MVT)」という地図タイル形式を知った。

 MVTはMapbox社が策定しているオープンなフォーマットで、Mapbox社の商用サービスとは無関係に自由に利用できる。柴本氏は、軽量かつ高速で、さまざまなデザインにカスタムスタイリングできるというMVTの利点を生かして、ニューペックのデータをバイナリベクトルタイルに変換する仕組みを構築した。

株式会社マップル・オン取締役の高澤宏光氏(左)、同社エンジニアの柴本歩氏(右)

ベクトルデータ化で、全国シームレスなスクロールを可能に

 そうしてベクトルデータ版の海釣図の開発が進む過程で生まれたのが、ニューペックスマートだった。ニューペックスマートは、ニューペックの情報から海釣り関係の情報に絞った海釣図の上位版として、ニューペックの情報を完全再現した航海支援アプリとして企画された。

 「海釣図のベクトル化の開発を進めていく中で、『この技術を使えばニューペックの情報を全て再現した航海用のアプリを作れる』と確信したので、日本水路協会さんにご提案したところ、『ぜひやってみましょう』とご快諾いただきました。ニューペックスマートをリリースするときから、法定備品の認可を目標としていましたので、海釣図と同じデザインではなく、とにかく見た目をニューペックと全く同じにすることにこだわりました。灯台やブイなどのデザインもニューペックと同じものをデザインし直しましたし、その点について日本水路協会の方々にも相談に乗っていただきました。」(高澤氏)

 「ラスターであれば海釣図とニューペックスマートは別々に地図調製を行ってタイルを用意する必要があり、コストが大きくなってしまいますが、ベクトルなら簡単にデータを流用できます。もともと海釣図のベクトル版を開発する話だったのが、結局はニューペックスマートを2018年3月に先行してリリースし、その後、海釣図のベクトル版である『海釣図V』を6月にリリースしました。情報量やデザインが異なる2つのアプリをほぼ同時期にリリースすることができたのは、ベクトルタイルならではのことだと思います。」(柴本氏)

 ベクトルデータ化により、全国シームレスなスクロールと、拡大しても美しいベクトル描画が可能となった。また、ニューペックは3カ月に1回の頻度で更新が行われるが、更新データが届いてからわずか数日で、そして低コストでニューペックスマートのデータも更新できるようになった。なお、このベクトルデータはあらかじめエリアを選んでダウンロードしておくことにより、オフラインでも使用可能だ。

ニューペックスマート
航路計画を作成可能
各地の潮汐を調べられる
エリアを選んでマップデータをダウンロード可能
ベクトルなので鳥瞰表示も可能
地点情報の表示機能も搭載
海底地形
ベクトル化した「海釣図V」

AIS表示機能も搭載、航行中の船舶の位置情報をリアルタイムに確認可能

 ニューペックスマートには、海釣図で利用可能だった海況予報も搭載しており、風向・風速や波高、海面水温などを表示した状態で下部のスライダーを動かして日時を変えると、海況予報を確認できる。風向・風速は1時間間隔で3日後まで、波高は3時間間隔で3日後まで、海面水温は1日間隔で約1カ月先までの予報を見ることが可能。また、未来だけでなく過去の海況に遡ることもできる。

 2018年10月にはAIS(自動船舶識別装置)の表示機能も搭載し、航行中の船舶の位置情報をリアルタイムに確認できるようになった。なお、AISの機能については、東洋信号通信社が提供する「Shipfinder」というAPIを利用している。

 さらに12月には、前述した「プレジャーボート・小型船用港湾案内(Sガイド)」も追加し、Sガイドの画像を見られるようになった。ちなみにSガイドはラスターデータで収録されており、オフラインでも利用可能だ。

 このような数々の機能と、ニューペックを忠実に再現したベクトル図のクオリティの高さが認められて、2019年2月には法定備品(海図の代替設備)として認可を受けることになった。

風向と風速
波高
海面水温
潮流も表示可能
AIS表示機能
Sガイド

 なお、海の部分がベクトルデータである一方で、陸地の地図については昭文社製の地図を使用しており、こちらはラスターデータとなっている。また、気象・海象予報についてもラスターデータなので、柴本氏は現在、これらについてもベクトル化することを目指して開発中だ。

 「PC版のニューペックはGPSプロッターなどに搭載して使うものですが、ニューペックスマートなら携帯性の高いiPhoneやiPadで使えるので、シーカヤックや小型ボートなど、GPSプロッターを搭載しないような小さな船でもお使いいただけます。すでにニューペックをお使いの方も、ニューペックスマートであれば船から降りても見ることができるし、紙海図や航海用電子海図を使うような大型船の乗組員が補助的に使用することもできます。また、海釣図のように新たなユーザーを開拓していきたいという思いもあります。」(芝田氏)

 今回の価格改定により、月額960円と大幅な値下げを実現したニューペックスマート。同アプリは初回登録から30日間は無料で試用可能で、全海域が使い放題なので、海に興味がある人は試してみてはいかがだろうか。

INTERNET Watchでは、2006年10月スタートの長寿連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」に加え、その派生シリーズとなる「地図と位置情報」および「地図とデザイン」という3つの地図専門連載を掲載中。ジオライターの片岡義明氏が、デジタル地図・位置情報関連の最新サービスや製品、測位技術の最新動向や位置情報技術の利活用事例、デジタル地図の図式や表現、グラフィックデザイン/UIデザインなどに関するトピックを逐次お届けしています。

片岡 義明

フリーランスライター。ITの中でも特に地図や位置情報に関することを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから測位システム、ナビゲーションデバイス、法人向け地図ソリューション、紙地図、オープンデータなど幅広い地図・位置情報関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「位置情報トラッキングでつくるIoTビジネス」「こんなにスゴイ!地図作りの現場」、共著書「位置情報ビッグデータ」「アイデアソンとハッカソンで未来をつくろう」が発売。