期待のネット新技術

「IEEE 802.11ac」のWave 2認証と、ビームフォーミングの製品への実装

【Wi-Fi高速化への道】(第7回)

 現在、高速なWi-Fiアクセスポイントとして普及が進んでいる「IEEE 802.11ac」の最大転送速度は、8ストリーム時の理論値で6.9Gbpsとなっているが、国内で販売されているWi-Fiアクセスポイントは4ストリームまでの対応で最大2167Mbps、クライアント側は2ストリームまでで最大867Mbpsの転送速度となっているのが現状だ。

 一方、理論値では最大転送速度が9.6Gbpsに達し、混雑下での速度向上も目指す「IEEE 802.11ax」が現在策定中だ。このドラフト規格に対応し、最大2.4GbpsのWi-Fiアクセスポイント機能を備えたホームゲートウェイが、KDDIが3月より提供を開始した「auひかり ホーム10ギガ/5ギガ」のユーザーに向けて、すでに提供されている

 スマートフォンやPCなど、Wi-Fi子機向けの11ax対応チップについては、IntelQualcomm東芝が2018年度の出荷などを発表している。

 2.4GHz帯と5GHz帯を用いる11axに対し、60GHz帯を用いて最大転送速度6.8Gbpsを実現している「IEEE 802.11ad」に対応する機器も、すでにネットギアジャパンから販売されている

 そこで今回は、2013年に策定された「IEEE 802.11ac」のOptional規格として採用された技術のうち、Wi-Fi CERTIFIED acプログラムにおけるWave 2の認証や、ビームフォーミングの実装状況について解説する。(編集部)

11ac Wave 1からWave 2へ

 幸いなことに、IEEE 802.11acに関して言えば、11nの立ち上がりのときのように、2012年中にドラフトのまま見切り発車したチップセットが、ファームウェアの改定だけでは対応できずに正式版で利用不可能になるということもなく、2013年11月の「IEEE 802.11ac-2013」の仕様公開とあわせ、正式にIEEE 802.11ac Wave 1対応となった。

 もっとも、前回も書いたように、2013年6月には、Wi-Fi AllianceがWi-Fi CERTIFIED acプログラムを開始している。当然この時点では、プログラムのCertification(認証)もドラフト3.0をベースに実施されているわけだが、これにパスしたものが、正式版にアップグレードできないという事態がもし起きれば、Wi-Fi AllianceのCertificationの意味が問われかねないわけだ。

 逆に言えば、Certificationがスタートしたということは、ドラフト3.0と正式仕様の間にほとんど差がないと、事前に確認されていたということでもある。実際にはCertificationに向けた仕様作りなどを行った参画企業と、IEEE P802.11ac TGへの参画企業の多くが重なっているから、ここで差が出ることはほぼあり得ないわけだが。

 ただ、前々回も説明したように、Wave 1の仕様は、IEEE 802.11ac-2013のMandatory+αといった程度だ。例えば、MU-MIMOの実装は求められていないし、空間ストリームも最大で3、実際は1か2という製品がほとんどで、フルファンクションとは言い難い。

 この結果として、製品の最終スペックはともかく、2013年中にリリースされたチップセットの少なくない割合が、Wave 2相当の機能については未実装や実装途中、あるいは実装はしたが検証はこれから、といった状況になっていた。

ビームフォーミングの実装状況

 例えばビームフォーミング。その原理は前回簡単に紹介したが、どのように実装されるのかをもう少し解説しよう。ビームフォーミングは、大別するとインプリシット・ビームフォーミング(暗黙的なビームフォーミング)とエクスプリシット・ビームフォーミング(明示的なビームフォーミング)の2つがあり、以下の図では左が前者、右が後者である。

Aruba Networksが開催した「American Airheads Conference 2013」における"Gigabit Wi-Fi 802.11ac In Depth"の講演資料より

 上の図の「Beamformer」はビームフォーミングを行って送信するルーターまたはアクセスポイント側、「Beamformee」はビームフォーミングによる送信を受け取るPCやスマートフォンなどのクライアント側である。「CSI(Channel State Information)」については後述する。

 さて、インプリシット・ビームフォーミングの場合、まずルーターは、ビームフォーミングの状況を確認するための「Sounding PPDU」という特定のパケットを含む「サウンディング・フレーム」をクライアントに送る。これを受け取ったクライアントは、単に「(Sounding PPDUを)受け取った」という返答をルーターに返す。ルーターはこれを受け取ると、以後クライアントへのパケットには、「Implied CSI(事前準備されたCSI)」を利用するかたちでビームフォーミングを形成し、送信を行うことになる。

 このやり方は、非常にシンプルで実装も容易である一方、全く最適化が施されていないため、ビームフォーミングといっても名ばかりのものだ。一方のエクスプリシット・ビームフォーミングの場合、ルーターからクライアントにサウンディング・フレームを送るところまでは同じだが、ここでクライアント側は細かくデータを取る。

 例えば以下の図のように、ルーター/クライアントともに3×3 MIMO構成だとする。ルーター側のアンテナを順にA,B,C、クライアント側のアンテナをa,b,cとすると、結果は3×3のマトリックスとなる。ここでAAaはA→aにおける(アンテナAから送信され、アンテナaで受信された)Sounding PPDUの信号強度、TAaはA→aの受信時間を意味している(IEEE 802.11ac-2013では、これをφとΨというパラメーターで表現している)。これを個別に測定してマトリックスに埋めたものが、先に出てきたCSIである。クライアントはこのCSIを測定後、これを圧縮してルーターに送り返すことになる。

信号強度や受信時間を測定してマトリックスで表す「CSI(Channel State Information)」。図は3×3 MIMO接続時のもの

 ちなみに、ここではアンテナの数だけを示したが、実際にはこれをサブキャリアの数だけ行うことになる。例えば、利用する周波数帯域が20MHzならサブキャリアの数は52だが、160MHzや80+80MHzだとサブキャリアの数は486にもなる。ただ、さすがにこれをそのまま送ると効率が悪いためか、サブキャリア4つをまとめて1つのグループとして送ることもできる。

 最大構成の場合を考えると、ルーター/クライアントの双方が、8×7 MIMOあるいは8×8 MIMOの場合、マトリックスの大きさは8×7=56個となり、またMU-MIMOだとφとΨのサイズは16bit(12bitというオプションもある)になるので、以下のように結構なサイズとなる。


    16×2×56×(486÷4)=217728bit(27216Bytes)

 さて、このCSIを受け取ったルーター側では、これらのパラメーターを見ながら、信号強度が最大になるように各アンテナの出力を細かく調整する。とは言っても、仕様にはこのあたりは規定されておらず、チップセットベンダー各社が独自のアルゴリズムを実装可能となっており、ここが差別化のポイントでもある。

ビームフォーミングの製品への実装

 これを製品間で比較してみると、さぞかし面白いことになるだろうとは思うが、真っ当に比較するには電波暗室に高精度な測定器を持ち込む必要があるので、手軽に比べるというわけにはいかない。またWave 2のCertificationにしても“正しくビームフォーミングが行われているか”を確認するのではなく、CSIがクライアントからルーターに正しく受け渡しできるかを確認することが主眼なので、機器ベンダーとしてはWave 2のCertificationが取得できたからといって、すぐにビームフォーミングがきちんと使えるようになるわけではなく、ビームフォーミングの効果を別途評価する必要がある。

 あるいは、MU-MIMOも似たような話だ。以下の図は、8×8 MIMOのルーターに、4×4 MIMOのPC、2×2 MIMOのスマートフォン2台、1×1のスマートフォンという合計4台のクライアントが接続されている場合のシーケンスである。ちょっと分かりにくいが、時間は左から右に流れていて、まず最初のTXOP(Transmission OPportunity:送信可能なスロット)をルーターが獲得し、ここでA~Cの機器に対してフレームを同時に送信している。ルーターがTXOPを送り終わると、A~Cがルーターに対してACKを送り返し、次のClient TXOP(クライアントの送信時間)はAが獲得、次にフレームをルーターに送り返して……、と続くわけだ。

出典は同じく"Gigabit Wi-Fi 802.11ac In Depth"の講演資料。最初のTXOPの「Frame to D」は「Frame to C」の間違いではないかと思う

 問題は、この複数のクライアントが同時に接続するMU-MIMOの環境で、ルーター側がそれぞれのクライアントに対し、どう帯域を割り振るかが仕様では明確に規定されていない点だ。公平に割り振るのか、利用可能な帯域に応じて割り振るのか、また帯域に合わせたときにも、初期値をそのまま使う場合と、状況の変化に応じて動的に変化させる場合があり得る。こうした話はインプリメントに依存することになる。

 加えるなら、ビームフォーミングもMU-MIMOに関係してくる。前々回にも掲載した以下の図も、MU-MIMO環境でそれぞれのクライアントに最大のスループットを提供するためにフォーミングするという趣旨のものであり、MU-MIMOについても機器ベンダー側がチップセットの実装を確認して検証する必要がある。

2本のアンテナからの電波の位相をわずかにずらし、電波の方向を変化させた電界パターンを模した例。出典はCiscoの「802.11ac: The Fifth Generation of Wi-Fi Technical White Paper」(PDF)

 こうした手間が掛かることもあり、Wi-Fi CERTIFIED acのWave 2対応は、Wi-Fi CERTIFIED ac(Wave 1)の開始から3年後の2016年となった。1つにはチップセット側へWave 2相当の機能を実装するのに時間が掛かった(例えば2013年当初のチップセットの中には、エクスプリシット・ビームフォーミングの実装ができていないものがあったらしい)こともあるが、それとは別にWave 2のCertificationにどこまでを含めるかで、ずいぶん議論があったらしい。

 「どこまで」というのは、上で説明した「機器ベンダーによる実装の検証に相当するものを仕様に盛り込むかどうか」ということである。加えて言えば、現在Wi-Fi AllianceではWave 1相当とWave 2相当を分かりやすくは区別していない。例えば原稿執筆時点でWi-Fi CERTIFIED acを取得したのは7744製品となっている。ところが、このうちMU-MIMOをサポートするのは726製品、ビームフォーミングを受け取れる「Beamformee」は3180製品、ビームフォーミングを行える「Beamformer」は1322製品と、ずいぶん少ない。

Wi-Fi Allianceが用意しているProduct FinderのWi-Fi CERTIFIED ac認証製品

 ただし、2016年以前には、こうした製品は0だったわけだから、逆に言えば2年弱でずいぶん増えたとも言えるが、そうなると、Wave 1相当とWave 2相当の製品を見分けたいところ。この点ずいぶん議論が紛糾したようで、見分けられるようにするとWave 1相当製品が売れなくなるという、非常に身も蓋もない意見が結局大勢を占めたようだ。

 厄介なのは、スマートフォンのように後から変更が効かない最終製品の場合、Wave 2に対応できないのが明示的に示されてしまうと、商品価値を下げる方向にしか行かないことだ。ではWave 1相当だと意味がないのかと言えば、そこそこは使えるわけで、敢えてこのあたりはぼかしたほうが賢明、という判断になったようだ。

 逆に、アクセスポイントやルーターのように、簡単に買い替えが効く製品は、パッケージなどにあえてWave 2対応と謳うものもある。ただ、このWave 1相当とWave 2相当の製品を見分けることについては、Wi-Fi Allianceでも問題があるとは認識されているようで、次のIEEE 802.11axでは、もう少し異なるマーケティング手法になるのではないかと言われている。

 次回は、「IEEE 802.11ad」と「IEEE 802.11ax」について解説していきます。

大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/