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五輪直前・1962年の東京へ、地図でタイムワープ:株式会社地理情報開発“古地図の描き起こし”プロジェクト

片岡義明のぶらりジオ企業探訪<3>

 今日訪れたのは、北緯35度41分19秒1、東経139度44分10秒4(世界測地系)の地点。市ヶ谷駅にほど近い東京都千代田区五番町で創業し、現在は四番町のオフィスビルに社を構えている「株式会社地理情報開発」だ。同社は創業以来、デジタル/アナログの地図制作や、地図データの変換ツール、地理情報の調査など、地理空間情報に関するさまざまなサービスを提供してきたが、最近、かなり注力している新たなプロジェクトがあるという。

 それは、東京の“古地図”を、デジタルで新たに描き起こした地図データ「タイムワープMAP 東京」である。1964年に開催された東京オリンピックの直前の様子が分かる1962年の地図と、現代や江戸時代の地図を見比べられるようになっている。

「タイムワープMAP 東京」のデモ画面。地図の境界をドラッグすることで、1962年の地図と、現代の地図(インクリメントP株式会社の「MapFan」を使用)を見比べられるようになっている。一見すると1962年の地図(左)も街の区割りは現代と変わらないが、六本木通りはまだ貫通しておらず、首都高速も走っていない。一方で、青山通りなどには都電の路線が走っているほか、渋谷川上流の穏田川もまだ開渠として描かれているなど、いろいろ現代と異なっているのが分かる

 2020年東京オリンピック・パラリンピックを目前にして、あえて1962年という年代を選んでプロジェクトをスタートさせた地理情報開発の代表取締役社長・篠崎透さんと専務取締役・久保田秀徳さんに話を聞いた。

片岡義明のぶらりジオ企業探訪

GIS(地理情報システム)や位置情報ソリューション、デジタル地図など、地理空間情報技術(Geospatial Technology)を手掛ける“ジオ企業”を、片岡義明氏がぶらりと訪問。いったいどんな製品/サービスを提供している企業なのか探ります。

“地図の乖離”をIllustrator用プラグインで橋渡し

――地理情報開発が創業したのは1999年6月。そして2003年に発売したのが、同社の代表的な製品である、Adobe Illustrator用プラグイン「Plug X」シリーズだ。

株式会社地理情報開発の代表取締役社長・篠崎透さん(右)と、専務取締役・久保田秀徳さん(左)

篠崎さん:
 当社の設立メンバーは全員、ある大手地図出版社で地図のデータベース作りに関わっていた者です。創業した1999年は、GIS(地理情報システム)が社会に普及し始めていたころで、さまざまな企業が地図データベースの開発をスタートさせた“仕込み”の時期でした。

 GISと言っても多種多様で、用途も商圏分析や施設管理などいろいろありますが、創業当初、当社は主に経路誘導に関する仕事をしていました。地図会社からの依頼で、カーナビに収録する地図データやネットワークデータ(経路データ)の整備を行っていたのです。撮影機材を搭載した自動車を全国で走らせて映像を収集し、それをもとに道路データを作成していました。

 それと並行して、出版社からの依頼を受けて、紙の地図帳の制作も行っていました。この出版事業は今でもずっと続いています。

 そのような事業を行っているうちに課題となってきたのが、GISやカーナビで使用されるデジタル地図データと、紙の出版物などに掲載される美しくデザインされた地図とが“乖離”してきたことです。この2つをうまく橋渡しできないかと考えて、当社の久保田が開発したのが「Plug X」シリーズでした。

久保田さん:
 GIS系の地図データをDTPに使用したり、あるいは逆にDTPのデータをGISツールで扱ったりすることはハードルが高く、また、大企業のように両方を兼ね備えた大規模なソフトウェアをゼロから開発することも困難でした。それに比べると、Illustratorであればソフト自体や運用にかかるコストも低かったので、Illustratorを入力ツールとして使えるようにしようと開発したのがPlug Xです。

 これを使うことにより、国土地理院の数値地図など、さまざまなベクター系の地図データをIllustratorから読み込み、デザインを施して地図製品として出力することができます。デザイナー、印刷会社、地図制作会社など、さまざまな企業に使っていただいています。

Illustratorから数値地図を読み込める「Plug X」
「Plug X」シリーズのパッケージ

昔の地形図の歪みは修正不能!?全て新しく描き起こすことに

――長年培ってきたこのような地図作りのノウハウを活用して今年新たに提供を開始したのが、古地図をデジタルデータとして新たに描き起こして制作した「タイムワープMAP 東京」だ。株式会社NHKエンタープライズの協力のもと、地理情報開発に加えて、東新紙業株式会社(株式会社こちずライブラリ)、株式会社コギトを含めた3社で制作委員会を運営している。

久保田さん:
 Plug Xを提供している関係で、各社が保有する地図データベースシステムにさまざまな地図データを載せたいというお話を、以前よりいろいろな方面からいただいていました。その流れの1つとして、昔の地図を描き起こしてみたいと考えたのが、タイムワープMAPのプロジェクトが始まったきっかけです。ちょうど2020年に東京オリンピック・パラリンピックが開催されるので、それならば、前回の東京オリンピックの前に東京がどのような姿をしていたのか再現しようと考えました。

「タイムワープMAP 東京」(渋谷駅周辺)
「タイムワープMAP 東京」(銀座駅周辺)
「タイムワープMAP 東京」(豊洲駅周辺)
「タイムワープMAP 東京」(湾岸地域)
「タイムワープMAP 東京」(国会議事堂周辺)

篠崎さん:
 1950年から60年代にかけては、まだ日本が地図を自由に作ることができない時代で、この時代に内務省地理調査所(1960年に国土地理院に改称)や国土地理院から発売された1万分の1地形図は、街の区割りの精度が悪く、情報も誤っている箇所が多いです。一見すると地形図の体裁は整えていますが、実はかなり荒っぽくできています。

 今回のプロジェクトでは、昔の地図と現代の地図をきちんと重ね合わせられるように作ることを目指しました。最初は、そこそこ歪みを直せばきちんと重ねられるかと思ったのですが、少し修正したくらいでは全くダメで、一方の角を合わせるともう片方が合わなくなるという具合でした。そこで、全てを手で新しく描き起こすことにしたのです。

1960年代の地図
国土地理院の前身である内務省地理調査所が発行

篠崎さん:
 この時代は日本政府による独自の地図作りができなかった代わりに、米軍が撮影した日本の空中写真がたくさん残っていて、国土地理院のウェブ地図サービス「地理院地図」で見ることができます。現代地図と当時の地図、そして空中写真の3つを照らし合わせながら比べて、「(当時の地図の)この道は(空中写真の)この道に相当する」と推測して地図を描き起こしていくわけです。太い主要道路は意外に拡幅工事などによって形状が変わっている場合も多く、細い路地のほうが対照作業の頼りになる場合も多々あります。これは人間の眼で確認しながら作業するしかありません。

「地理院地図」で見られる1960年代の東京の空中写真

“銭湯”に特別のこだわり、1962年当時の銭湯を網羅した世界で唯一の地図に!?

――街区の区割りを描き起こしたあとは、次のステップとして店舗名や施設名を記載していった。当時の街の様子を知るために、篠崎さんたちはいろいろな資料を探し回ったという。

篠崎さん:
 都内各区で当時、「東京住宅協会」などさまざまな協会や団体が住宅地図のようなものを提供していたので、都内の図書館を回ってこれらの資料を集めました。これらの地図は、きちんとした縮尺ではなく、かなりいい加減な部分もありますが、店の並びの順番などは比較的信用できるので、まずは四つ角を中心に名称を入れて、それを基準に商業施設や工場名、団体名などの中から判読できるものを選んで載せていきました。

 これらの地図は、基本的に単純に敷地を割って記載しているだけで、家形(上空から見た建物の輪郭の線)は入っていないため、タイムワープMAPの地図には家形はほとんど入れていませんが、空中写真をもとに目立つ建物など一部については入れています。また、町名については、各区が町名の変遷についての資料を作っているほか、読み方などは都電の駅名などを参考に類推しています。

「東京住宅協会」が販売していた住宅地図
当時の施設名や店舗が記載されている

――さまざまな施設の名称が記載されているが、中でも特にこだわっているのは“銭湯”だ。

篠崎さん:
 この時代の思い出として多くの人が挙げるものといえば、なんといっても“銭湯”です。だから、なんとか銭湯だけは網羅したいと思っているのですが、当時の都内の銭湯の位置をまとめたリストが残っていないので、なかなか難しい。公衆浴場については保健関係のお役所に資料が残っていそうなものですが、この当時の資料は残っていませんでした。風呂桶の会社などにも聞いたのですが、当時の銭湯のリストなどは残っておらず、ほかに良い資料がないか探している最中です。

銭湯の位置を掲載

古地図が都内の学校の教材に、認知症予防のためのツールとしても注目

――「タイムワープMAP 東京」では、1962年の地図に加えて、江戸時代の地図も描き起こしている。

篠崎さん:
 江戸時代の地図では、街区については明治10年ごろに参謀本部陸軍部測量局が測量した「五千分一東京測量原図」(日本地図センター刊)を参考に作成し、施設や屋敷の名称については嘉永年間の江戸切絵図をもとに作成しています。

 なお、江戸時代の地図は、江戸幕府が江戸の範囲とした“朱引き”と言われる範囲とほぼ同じエリアを整備していますが、1962年の地図については、渋谷区と江東区を中心に、港区や中央区などの一部を整備しています。1962年の地図については順次、エリアを拡大する予定です。

江戸時代の地図
日本橋周辺
朱引きの範囲をカバー
「五千分一東京測量原図」
明治初期の東京の様子が分かる

――こうして整備された「タイムワープMAP 東京」は、まずは教育用として提供。一般向けの提供も検討中だ。

篠崎さん:
 タイムワープMAPの制作委員会が立ち上がったあとに、いくつかの区の教育委員会から声がかかり、地域学習の教材として使うことを検討していて、2019年度から提供を開始すべく準備中です。東京についてはこのほかのエリアについても順次、具体的なニーズにしたがって整備を進めていく予定で、東京以外の地域についても、ご相談があれば古地図の作成を検討したいと思います。

1962年の地図のカバー範囲

篠崎さん:
 このほか、一般の人にも使っていただけるように、パッケージソフトとして提供したり、ウェブアプリとして提供したりすることも検討しています。

 また、ユニークな活用事例として検討しているのが、福祉系ですね。1960年代に東京で青春を過ごした高齢の方にタイムワープMAPを見せると、とても強い興味を持ちます。6月に新宿駅西口広場で開催した「くらしと測量・地図」展でデモ展示したところ、ブースを訪れた方の多くは長い時間、地図を見ながら昔の東京を一所懸命に語っていました。「昔ここで遊んだ」とか、「ここの銭湯に通った」とか、記憶を呼び起こしながら他人に話し、それに対して「それは違うよ、ここはこうだったでしょ」と、あれこれ話しながら盛り上がるわけです。近年、地域の昔の話をすることで脳を活性化する「地域回想法」が認知症予防の手法として注目されていますが、タイムワープMAPは地域回想法のツールとして大変有効だと思います。

――もちろん、「タイムワープMAP 東京」には純粋に地図として見たときの面白さもある。篠崎さん自身、1962年と江戸時代の地図を見ていて発見があったという。

篠崎さん:
 オリンピック前の地図を作っていると、「あの会社って、このころからあったのか」とか、「今は会社名が横文字だけど、もともとは漢字表記なんだ」とか、さまざまな発見があります。例えば、赤坂の辺りって自動車関連の店が妙に多いのですが、これは昔、米軍のモータープールが赤坂にあったために修理工場が多かったからとか、東日本橋に行くと繊維関係の店や会社ばかりあるとか、社名や店名から土地のルーツが見えるのが面白いですね。

 江戸の地図については、なんといっても水路を見るのが面白い。現代の地図で、鍵型とか変な形をした道路があったので江戸時代を見てみたら、それは堀がそのまま道になっていました。現代と対比させることで、江戸という街は江戸城の堀で成り立っているということがよく分かります。

1962年の地図(赤坂周辺)
江戸時代の地図(清澄白河周辺)

“地図の描き起こし”を恐れるな!地図業界の枠を超えて――

――“古地図の描き起こし”という新たな挑戦を始めた地理情報開発。その一方で、今の地図業界は、古地図に限らず、“地図を描き起こすこと”を敬遠する傾向にあるのかもしれないとの危惧もあるようだ。

久保田さん

久保田さん:
 今の時代、もともとある地図データを使って、それをベースに加工するというのが当たり前となり、地図を描き起こすという作業をしている人は少なくなりました。一から地図を作る必要がないというのは便利なことではありますが、一方で、不必要に地図の描き起こしを恐れている人が多くなったようにも思います。タイムワープMAPは、そのような状況の中で、描き起こしによって、これまでにない地図を制作することに挑戦するプロジェクトであり、今後もエリア拡大や他の時代の地図制作に取り組んでいきたいと思います。

篠崎さん

篠崎さん:
 これからの地図会社は、もっといろいろな分野に出て行くことが必要だと思います。例えば、タイムワープMAPについても、地図データを提供するだけではダメで、例えば教育分野なら、それを使って子どもたちにどのように教えるかという指導用の資料まで、先生方と一緒になって作っています。

 当社はデジタルの地図データ、紙の地図帳、そして地図データをもとにデザインするためのツールなどさまざまな分野の製品やサービスを提供していて、デジタルとアナログの橋渡しのような存在でもあります。ときには同業者からも「こういうことをやりたい」とご相談いただくこともあるのですが、地図業界という枠に縛られずに、こちらから積極的にいろいろなことを提案していきたいと思います。


カーナビ黎明期に地図データベースの構築に取り組むとともに、紙媒体の地図帳や地図データ変換ツールなど多彩な製品や出版物を世に送り出してきた地理情報開発は今、古地図をデジタルで描き直すという新たなプロジェクトを開始し、この地図を業界の枠を超えてさまざまな事業に活用させようと取り組んでいる。「タイムワープMAP 東京」はまず自治体や企業向けに提供を開始する予定だが、アプリやウェブサービスのかたちで一般の人が気軽に利用できるようになることを期待したい。

通信教育「ユーキャン」販売の立体地図の絵柄も地理情報開発が作製
児童向けの地図帳も数多く手掛けている
地理情報開発のオフィス

【追記 2018年11月8日 15:00】
 「タイムワープMAP 東京」の地図がウェブで公開され、誰でも見ることができるようになった。インクリメントPが運営する「MapFanラボサイト」において、「古地図 with MapFan」として公開されている。詳細は、本連載11月8日付記事『東京五輪前・昭和30年代の“新しい古地図”ネットで公開、現代の地図と見比べられる「タイムワープMAP 東京」』を参照。

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INTERNET Watchでは、2006年10月スタートの長寿連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」に加え、その派生シリーズとなる「地図と位置情報」および「地図とデザイン」という3つの地図専門連載を掲載中。ジオライターの片岡義明氏が、デジタル地図・位置情報関連の最新サービスや製品、測位技術の最新動向や位置情報技術の利活用事例、デジタル地図の図式や表現、グラフィックデザイン/UIデザインなどに関するトピックを逐次お届けしています。

片岡 義明

フリーランスライター。ITの中でも特に地図や位置情報に関することを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから測位システム、ナビゲーションデバイス、法人向け地図ソリューション、紙地図、オープンデータなど幅広い地図・位置情報関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「位置情報トラッキングでつくるIoTビジネス」「こんなにスゴイ!地図作りの現場」、共著書「位置情報ビッグデータ」「アイデアソンとハッカソンで未来をつくろう」が発売。