地図と位置情報

人々はなぜ「位置情報エンジニア」を目指すのだろうか――彼らが語った その仕事の魅力とキャリア形成を賭けた理由とは

「位置ベロ本」出版記念イベントが人生のジャンクションそのものだった!

位置情報技術は上流から下流まで独特な概念が多く、日進月歩で進化

 出版記念イベントは、MIERUNEが主催するIT技術の勉強会「MIERUNE JCT(ミエルネ・ジャンクション)」として開催されたもの。同イベントは、札幌に本社のある同社が不定期で開催している交流会で、社内外の人が地理空間情報をはじめとしたさまざまなIT技術について情報交換することを目的としている。東京では初開催となる今回、会場にはエンジニアを中心に約70人が集まった。なお、同イベントで発表された資料については、イベント告知サイトで公開されている。

9月26日に東京都内で開催された「MIERUNE JCT」会場の様子

 井口氏は講演の冒頭で、今回発売した「位置ベロ本」について紹介した。同書は地理空間情報のサーバーサイド技術を体系的に解説した書籍だ。2023年2月に発売した「現場のプロがわかりやすく教える位置情報エンジニア養成講座(位置エン本)」の続編にあたる。

書籍「現場のプロがわかりやすく教える位置情報デベロッパー養成講座(通称:位置ベロ本)」著者で、株式会社MIERUNEのCTOの井口奏大氏
「現場のプロがわかりやすく教える位置情報エンジニア養成講座」(左)と「現場のプロがわかりやすく教える位置情報デベロッパー養成講座(右)

 「位置エン本」がウェブ地図開発のトレンドを広く解説した内容となっていたのに対して、今回の「位置ベロ本」は、「位置エン本」では除外されていた地理空間情報関連のデータベースやWebAPIを通じた配信、衛星データの配信などサーバーサイドの技術に焦点を当てており、両書を併せて読むことで位置情報アプリケーション開発の全体像を把握できる構成となっている。

※なお、MIERUNEでは、地図データや衛星データを含む緯度・経度情報を持った地理空間情報全般を「位置情報」と定義付けており、本稿でもその表記でお伝えする。

 井口氏は、位置情報技術は[データ作成・加工]→[配信]→[描画]という上流から下流に至るまでの中にさまざまな概念やソフトウェアがあり、その工程を「位置情報データ」「位置情報の配信」「位置情報の描画」「地図のデザイン」の4つの項目に分けて解説した。

位置情報技術の上流から下流

位置情報データ

 位置情報データは大きく分けてベクトルとラスターの2種類があり、ベクトルの特徴としては無段階ズームが可能であることや属性が付けられること、デザインのカスタマイズ性の高さ、ファイルサイズを小さくできることなどが挙げられる。一方、ラスターの特徴としては描画効率や計算効率の良さが挙げられ、用途に応じて適切に選択する必要がある。

 また、ファイル形式は、多くのGISでサポートされているESRI Shapefileやウェブ向けの標準形式であるGeoJSON、QGISの標準であるGeoPackage、高速に動作するFlatGeobufやGeoParquet、地図タイル用のMBTiles/PMTilesなど多くの種類がある。さらに、地球は球体のため平面上で面積・確度・距離の全ての要素を同時に正しく表現することは不可能であるため、投影法や座標系についても多くの種類がある。データベースもPostGIS、DuckDB、elasticsearch、MySQLなど多くの種類があり、目的によって使い分ける必要がある。

位置情報の配信

 位置情報データの特徴は扱うデータのサイズが大きく、数が多いことであり、ファイルサイズはしばしばギガバイト級となる。巨大なデータを何の工夫もなしにインターネット上で配信することは難しく、「必要最小限のデータのみを取り出す」「サーバー側で地図画像をレンダリング」「地図を細かく分けてタイルで配信する」「ベクトルデータを配信してブラウザー側で描画」など、配信するためにさまざまな工夫をする必要がある。

位置情報の描画

 サーバーサイドでのレンダリングにはMapServerやGeoServer、QGIS、MapLibre Native、クライアント側でのレンダリングにはMapLibre GL JSやDeck.GL、OpenLayers、さらにブラウザーでの地図表示にはLeafletやCesiumなども利用可能で、要件に応じて適切なライブラリが決まる。ライブラリによってサポートしているデータ形式は異なり、適切な設計には上流から下流までのデータの流れの理解が必要となる。

地図のデザイン

 近年は地図データのベクトル配信とブラウザーでの地図描画が一般化したことで地図デザインのハードルが下がり、ブラウザーを使ってオリジナルの地図デザインを生成できるようになった。また、無段階ズームや3D表現などデザインの幅も従来より広がっている。

 井口氏はそれぞれの要素について解説したうえで、以下のように語った。

 「位置情報技術には、上流から下流まで、この分野にしか存在しない独特な概念が多く含まれており、しかもそれぞれの段階において日進月歩で多くの技術が生まれています。エンジニアは地図データのサーバーを作る楽しみもあれば、効率の良いデータの配信方法を考える楽しみもあるし、地図をデザインするだけでも楽しめます。位置情報技術にはさまざまな面白みがあるので、ぜひ『位置エン本』と『位置ベロ本』を読んで取り組んでみてください。」

データ可視化がやりたくて……自然言語処理の研究から地図による表現の追求へ

 井口氏に続いて、MIERUNEのテックリードを務める久本空海氏が登壇し、「可視化がやりたくてMIERUNEに転職した話」と題して講演を行った。久本氏は過去に日本各地や海外などさまざまな地域で暮らした経験があり、言語に興味を持ち、自然言語処理(Natural Language Processing:NLP)の研究を行っていた。NLPはコンピューターを使って人間の言葉を扱う技術であり、地図もまた“現実にあるものを正確に反映して、そのようにまとめて表現するか”という点で辞典と共通する点があるため、言語と同様に“思考のための道具”として興味を持った。

株式会社MIERUNEのテックリードを務める久本空海氏

 そこで2021年ごろにデータ可視化をテーマとしたオンラインコミュニティに入ったところ、MIERUNEの取締役エバンジェリストを務める古川泰人氏と知り合い、それがきっかけでMIERUNEに入社することになった。MIERUNEは地理空間情報に関連したオープンソースソフトウェア(OSS)のコミュニティ「FOSS4G」をルーツとする企業であり、営利企業とコミュニティ活動の両立を目指している点がユニークで、一般的な情報系の人材だけでなく多様なバックグラウンドのメンバーが所属している点にも魅力を感じている。

 久本氏は現在もMIERUNEにおいて言語や地図、可視化などをテーマに取り組んでおり、地図を使った新たな表現を追求している。久本氏は、19世紀末にカメラが登場したころの最初期の映画は、撮影するカメラが固定され、客席から見る舞台演劇の延長にあったのが、20世紀に入ると新しい表現が確立されて“第七芸術”として開花したことを例に出し、地理空間情報の表現も今後さらに広がっていくと語った。

 新しい表現の例としては、地図をスクロールしながら順番にコンテンツを見せる“Scrollytelling(スクロール+ストーリーテリング)”や、ズームレベルに合わせて動的に投影法を変化させる手法、スクロールするときに地形を左右に揺れるように動かすことで3D地形を表現する「Elastic Terrain Map」などを紹介した。

 「スティーブ・ジョブズ氏が言ったように、コンピューターは人間の能力を拡大する自転車のようなものであり、無限の可能性がありますが、私たちはまだ“紙とペン”から成る世界観から脱却できておらず、私たちが見たこともない、想像したことのない世界がまだあると思います。」(久本氏)

Scrollytelling
Elastic Terrain Map

幅広い知識が求められる位置情報エンジニアは、飽きっぽい人にもお勧め?

 続いて登壇したテックリードの深田拓氏は、新潟で地方紙の新聞社に勤めるエンジニアからMIERUNEに入社するまでの経緯について紹介。新聞社では、いわゆる“ひとり情シス”だった深田氏はローカルニュースサイトの運営を任され、最盛期は月間300万ページビューの実績を残した。このころから、記事アーカイブに位置情報を付与したり、気象庁データを扱ったりと、位置情報技術を扱っていたという。

株式会社MIERUNEのテックリードを務める深田拓氏

 そしてコロナ禍をきっかけにプログラマーになることを決意し、東京の報道系ITスタートアップに転職した。ここでもベクトルタイルのサーバーや記事中の住所を検出する簡易ジオコーダーなど位置情報関連の開発を主導していたところ、インターネットでMIERUNEの記事を読んだ。受託がメインで地に足が着いていることや、小さい会社の自由度を得たいこと、ビジネスの成果の一部をOSSとして公開していることなど、会社の経営方針などにも魅力を感じ、地理情報を専門にしようとMIERUNEへの転職を決意した。

 MIERUNEでは、人工衛星軌道の可視化や、QGISのプラグイン、法務省の登記所備付地図のXMLを読み込むプラグイン、地域メッシュを作るプラグイン、国土交通省のPLATEAUの3D都市モデルを読み込むプラグインの開発などを行った。なお、これらのプラグインの使い方は、MIERUNEが10月21日に公開した、QGISに特化した総合情報サイト「QGIS LAB by MIERUNE」で確認することができる。

人工衛星軌道の可視化
法務省の地図XMLを読み込むプラグイン
PLATEAUの3D都市モデルを読み込むプラグイン

 深田氏は位置情報エンジニアの魅力について以下のように語った。

 「地図や位置情報のエンジニアは、インタラクティブ性や視覚的効果、リアルタイム性、データ構造、大規模データ、実社会の理解など、幅広い知識が求められますが、ウェブだけを扱うエンジニアの場合、そのような知識が求められる機会はなかなかありません。地図というのは非常に社会の営みに近い分野なので、自分の技術を困っている方のために使いたいという人にはお勧めできる分野だし、いろいろなネタがあるので飽きっぽい人にもお勧めできます。

 また、よく『地図とか詳しくないんですけど大丈夫ですか?』と聞かれることがあるのですが、必ずしも地図に詳しくなくても、『(面白いと)ついついずっとやってしまう』という熱中できる人なら適性があると思います。位置情報の分野は情報系やウェブ系に強い人が不足気味で、そういう方がMIERUNEに来ていただければありがたいし、普通のIT系企業でもGISが分かっているエンジニアが不足して困っているので重宝されると思います。」

カラフルなロングテールに対応できる“ソリューション型”の位置情報エンジニア

 イベントの最後に登壇したのは、MIERUNEの社外取締役であるカートグラファーの森亮氏。森氏は7月に行われた「MIERUNE MEETUP 2024」と同様に、最新のIT技術とともにローカルへの深い知見が必要な位置情報業界の特徴について解説したうえで、位置情報業界におけるキャリア形成について語った。

株式会社MIERUNEの社外取締役で、カートグラファーの森亮氏

 キャリア形成については、ソフトウェア技術のトレンドは数年単位で変わるため、できるだけキャッチアップできる環境に身を置くことが望ましく、また、データ処理技術はニッチではあるが、現実世界で生のデータに触れることでスキルの幅が広がる。さらに、ドメイン知識(業界に関する知識やトレンド)は長期間通用するが、知識を持つべきなのは成長分野であるべきで、成長しない分野の場合はキャリア形成が難しくなる。

 また、プロダクトとソリューションのどちらを扱うかも大事だという。プロダクトの場合は企画から提供まで一連のプロセスの理解を深めることが可能で、それに関する技術やノウハウを学べるが、プロダクトに関連性の低い技術やノウハウ、個々の顧客の課題や解決策を学ぶのは難しい。一方、ソリューションは顧客が抱えているさまざまな課題や、それを解決するための幅広い技術知識、多様なデータの取り扱いノウハウを学べるが、1つの案件が終わったら一旦区切りが付くため、継続的に提供するための技術やノウハウは学びにくい傾向がある。

 森氏は位置情報業界の多様性を“カラフルなロングテール”と表現しており、そのため位置情報エンジニアを目指すのであればソリューション型を勧めている。このほかのアドバイスとしては、転機はいつ訪れるか分からないため、キャリア形成を焦らず、コミュニティに積極的に参加しつつ、必要とされるスキルを素早く学べる学習能力を身に付けることが大事であると語る。また、エンジニアのキャリア形成には英語が必須であり、まずは自分のドメイン領域で使う英語を習熟し、公開ソースコードのコメントは英語で書くといった努力を行うことが大事だと語った。

 「何かあっても、きちんと変化に対応できるように学ぶことが重要です。また、人生が思った方向に進むことはあまりないので、“こんなはずじゃなかった”という思いと戦いながら、もがいてもがいて何かをつかむことが大事だと思います。私の場合は32歳までは紙地図、37歳でGISベンダーに転職、39歳で起業、53歳でApple、57歳でHEREに転職しましたが、後悔はしていません。位置情報技術は人生を賭けて取り組む価値のある領域です。

 MIERUNEは課題解決をサポートし、継続的な支援を可能とするプロフェッショナルなチームで、カラフルなロングテール領域にフォーカスし、多様な地理データを熟知してデータを活用するソフトウェアテクノロジーにも習熟しています。また、チームが繰り返し体験を重ねることで解決能力の積分値も高いです。MIERUNEとともに、みなさんがいろいろなかたちでのキャリアをこの先、積み上げてくださることを願っています。」(森氏)

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INTERNET Watchでは、2006年10月スタートの長寿連載「趣味のインターネット地図ウォッチ」に加え、その派生シリーズとなる「地図と位置情報」および「地図とデザイン」という3つの地図専門連載を掲載中。ジオライターの片岡義明氏が、デジタル地図・位置情報関連の最新サービスや製品、測位技術の最新動向や位置情報技術の利活用事例、デジタル地図の図式や表現、グラフィックデザイン/UIデザインなどに関するトピックを逐次お届けしています。

片岡 義明

フリーランスライター。ITの中でも特に地図や位置情報に関することを中心テーマとして取り組んでおり、インターネットの地図サイトから測位システム、ナビゲーションデバイス、法人向け地図ソリューション、紙地図、オープンデータなど幅広い地図・位置情報関連トピックを追っている。測量士。インプレスR&Dから書籍「位置情報トラッキングでつくるIoTビジネス」「こんなにスゴイ!地図作りの現場」、共著書「位置情報ビッグデータ」「アイデアソンとハッカソンで未来をつくろう」が発売。