期待のネット新技術

「Wi-Fi CERTIFIED Location」に残された課題と、空間情報を把握する規格「Wi-Fi Sensing」の広がり

 以前こちらで、「Wi-Fi CERTIFIED Location」の話を紹介した。「IEEE 802.11mc」として標準化された「位置を確認するための技法」である。

 これは要するに、ターゲットとの間で通信のやり取り(このために「MLME-FINETIMINGMSMT」という通信フォーマットが追加定義された)を行い、リクエストを送ってから返事が返ってくるまでの時間を測定することで、ターゲットまでの距離を識別するというものである。

 分解能はpsオーダー(といっても100ps程度)が想定され、理論上はcmオーダーでの距離測定が可能というものだった。

 この場合、1カ所からだと単にターゲットとアクセスポイント間の距離しか測定できないが、理論上は3つ以上のアクセスポイントと距離測定を行うことで、3次元的な位置測定が可能になるというわけだ。IEEE 802.11mcではこれを「FMT(Fine Timing Measurement)」と呼んでいる。

 このIEEE 802.11mcは、最終的にIEEE 802.11-2016に取り込まれるかたちで2016年に標準化を完了。Wi-Fi Allianceより2017年に「Wi-Fi CERTIFIED Location」が発表されたものの、さっぱり普及が進まないというのは、先に示した記事で紹介した通りだ。

 そして2022年3月現在、認証を取得した製品が20へ増えているものの、2019年1月の時点で既に13製品あったことを考えると、現時点でも普及しているとは言い難い。

 この測位機能については、その後「IEEE P802.11az」という新しい規格として標準化が行われている。現在も標準化は完了しておらず作業中(現時点ではDraft 4.0が出ており、2022年末の標準化を予定している)だが、これはもともと、「NGP SG(Next Generation Positioning Study Group)」というStudy Groupから昇格したものだ。

 IEEE 802.11mcでは、理論上はcm単位での距離測定が可能と言いつつ、実際にはもっと精度は悪く、数m(それも5~10m程度)のものだった。IEEE P802.11azは、これを改善しようというもので、精度1~2mの実現を目指している。

 ベースとなるのはIEEE 802.11mc同様にFMTなのだが、これに加えて、MIMOを利用する際にStreamレベルでの分解能を持たせた伝搬路推定プロトコル、ビームフォーミングの指向性を利用した角度推定、NLOS検出(伝搬路が見通し距離内:Line Of Sightなのか、距離外:Non Line Of Sightなのかを判断する仕組み)など複数の技術を組み合わせることで、距離測定の精度向上を考慮している。

 加えて言えば、IEEE 802.11mcの頃にはまだ存在しなかった6GHz帯や、WiGigで利用されるミリ波(60GHz)帯の利用(MIMOを前提にするのも同様)を考慮する点も新しいところ。こちらの用途としては、例えばドローンの制御(コントローラーからどの程度離れたかを測定)などにも利用できるとしている。

 標準化作業自体は順調に進んでいるようではあるものの、ただ、その市場がどこまであるのか? は疑問である。Task ForceによるUse Case Templateには、以下の具体的なターゲットが大量に羅列されている。

  1. Micro location in store
    店内を移動する顧客の位置に合わせて、そこに展示されている商品の広告を表示する
  2. Positioning for Home Audio
    Home Audioでスピーカーの位置を自動判定し、それに合わせて位相を調整する
  3. Navigation in Public Buildings
    例えばスタジアムとか劇場などの建物内で、自分の席まで案内するナビゲーションなど
  4. Positioning for Spectrum Management
    複数のアクセスポイントが混在する環境でアクセスポイント同士のロードバランシングに利用
  5. Positioning for Medical Applications
    医療施設や介護施設などにおける(認知症の方などの)患者の追跡
  6. Indoor Geotagging
    カメラのExifなどにより、屋内における位置情報を記録
  7. Positioning for Video Cameras
    監視カメラなどにおけるカメラ位置の記録
  8. UAV Use Case Description
    ドローンの位置確認そのほか
  9. Location services of underground mining
    地下道などにおける位置情報サービス
  10. Pipe/Vault Robot Positioning
    配管監視/障害検出ロボットの位置特定
  11. Nano Location in store
    自動販売機レベルでの位置情報サービス
    (顧客が販売機の前に立ったかどうかを店舗側ではなく自動販売機で検出し、プロモーションを行うような仕組み)
  12. Augmented reality(AR)
    ARにおける操作者と周囲の物体との位置関係を検出
  13. Determine dynamic (conference) room setup
    人がその部屋に入ったら照明を点けるなどを設定
  14. Proximity Detection
    60GHz帯の利用を前提に、10~100cm以内の近接を検出
  15. Determining Relative Location to Dock(s)
    エンタープライズ向けに、ノートPCやタブレット用のドッキングステーションにユーザーが近づいたとき、利用を許されているユーザーに対してドッキングステーションの機能を自動的に有効にするなど
  16. Wearable devices
    スマートウォッチをはじめとしたスマートメディカルデバイスにおける位置情報の記録
  17. Control consoles
    例えば、TVの前に座ると自動的に電源がOnになるとか
  18. Agricultural IoT
    スマート農場におけるノードの位置特定
  19. Location Based Network Management
    ネットワーク管理者向けの位置情報サービス
  20. Smart buildings
    スマートフォンをキーにした入退室制御などを可能にする
  21. Position for traffic tracking in shopping mall
    1.とは逆に、顧客の導線追跡や現在の顧客位置の確認などを行う
  22. Position for electronic tag
    電子タグを使った資産や荷物、患者などの追跡

 このうち大半は、例えばBluetoothなどでも実現が可能な上、しかもBluetoothも精度はともかく、方向探知などが可能となるDetection Findingを実装したことから、果たしてどこまでシェアを取れるのかは疑問が残るところだ。

 加えて言えば、IEEE 802.11mcにしてもIEEE 802.11azにしても、クライアント側にWi-Fiの機能がないと使えない(ということはそれなりに寸法も、消費電力も大きくなる)ことがボトルネックになりかねない。

 それもあって、スマートフォンを持ち歩く(一部はWi-Fi対応電子タグを使う想定)ことになるが、スマートフォンならBluetoothも使えるため、この観点からは必ずしもWi-Fiである必要がない。

 というわけで、標準化が進む一方でマーケットが依然不明確なままなのがWi-Fi Locationであるが、その脇で「IEEE P802.11bf」として標準化が進行している規格がある。これは何かというと、「Wi-Fi Sensing」である。

 要するに、Wi-Fiの電波を使って空間情報のセンシングをするための規格である。実はWi-Fiの電波を使ってセンシング、という話は以前からあった。古いところで言えば2013年のこちらの僚誌PC Watchの記事で紹介された「Wi-Vi」だ。

 これは、Wi-Fiの電波が反射する状況から、壁の向こう側を可視化できる(といってもそれほど高精度ではない)という試みである。これをもう少し進化させ、壁の向こうの人体の姿勢や動きを高精度で検出可能だという「WiPose」という技術が、2020年にニューヨーク大バッファロー校のWenjun Jiang博士によって論文で示されている。

 このWiPoseで何ができるかは、以下の動画を見て頂いた方が早いだろう。Wi-Fiの電波の解析だけで、ここまで人体の動きを正しくトレースできる訳だ。

 ほかにもOrigami WirelessがWi-Fiを利用したセンシングのデモを、CEATEC JAPAN 2018で展示しており、翌年のCEATEC 2019の展示では、精度をcm単位まで高めていた。

 この話についての元々の話は検索し切れなかったのだが、最初に報じられたときは、確かWi-Fiの電波を外部から解析することで、建物内部の配置やさまざまな動きを検出できるというセキュリティホール系の話題で取り上げられたと記憶している。ただ、こうした技術は使い方次第では悪用もできるわけで、根っこは同じである。

 その基本的な原理であるが、Wi-Fiでの通信においてアクセスポイントはクライアントからCSI(Channel State Information)と呼ばれる、それぞれのクライアントが受信したチャネルの電波状況がフィードバックされる。

 これを時間軸を含めた3次元表示にしたのが以下のグラフで、建物内で人が動けば、このCSIの波形に変動が出る。要するにWi-Fiの電波は、まっすぐ届くだけではなくあちこち反射して戻ってくる場合もあって、その際に人が動いたりして変化する反射の具合を見ているわけだ。あるいは、複数個所のクライアントからのCSIまでをまとめて分析することで、屋内の物体の配置などの推定も可能になる仕組みだ。

横軸がチャネル、縦軸が各チャネルの信号強度、奥行きが時間を示している。"Wi-Fi動体検知:ホーム・セキュリティとヘルスケアアシスタンスの革命(Onsemiブログ)より転載

 このCSIを利用し、Wi-Fiの電波を使ってセンシングに役立てようというわけだ。いわばLiDARやRader(最近だとiPhone 12 Pro/MaxでLiDARセンサーが搭載されたのでご存じの方も多いだろう)を、Wi-Fiの電波で行おうという規格だ。

 この規格は、2019年11月にまず「802.11 SENS SG(Sensing Study Group)」が結成され、2020年10月にこれが「IEEE P802.11bf」としてTask Forceに昇格。このWi-Fiを利用したセンシング技法の標準化を行おうとしている。

 タイムラインで言えば、Draft 0.1のレビューが2022年1月から3月に延期され、Draft 1.0のリリースも2カ月延びて同9月の予定であるが、最終的には2024年9月の標準化完了を目指し、現在も作業が行われていて、そのマーケットについて業界内では、Wi-Fi Locationに比べてずっと有用性が高いと考えられているようだ。

 Onsemiの「QCS-AX」や「QCS-AX2」といったWi-Fi 6向けチップセットは、既に3ms間隔でCSIをリアルタイムキャプチャ可能とされているし、筆者がSocionextシニアマネージャーのMasakazu Urade氏であるこちらの英文記事によれば、SocionextでもRF-CMOSベースのワンチップIEEE 802.11bfソリューションを手掛けていることが明らかにされている。

 Wi-Fi Allianceの方では、表向きはまだ大きな動きはないが、WBA(Wireless Broadband Alliance)の方には、Wi-Fi Sensingというページがすでに用意されており、こちらのページからダウンロードできるWi-Fi SensingのWhite Paperによれば、以下の各メーカーがWBAでWi-Fi Sensing Groupに加盟し、作業を行っている模様だ。

Accuris Networks、ASSIA、AT&T、Boing Networks、Broadcom、BSG Wireless、BT、BSNL、Cable Labs、CDOT(Centre for Development of Telematics)、Charter Communications、Cisco、Cognitive Systems Corp、Comcast、COX Communications、Huawei、Intel、iPass/Pareteum、Nokia、Panasonic、Qualcomm、Rogers、Shaw Communications、Smith Micro、Viasat

 Wi-Fi Sensingが比較的普及しそうな理由は、以下3つの好条件がそろっていることだ。もちろん、Wi-Fiルーター単体でセンシングの後処理まで行わせるのは不可能だが、それこそクラウドベースでサービスを提供することも可能なので、ハードウェアとしてはWi-Fiルーターさえあれば(ついでにメッシュで1部屋に2~3台もあれば)完璧という話である。

  • アクセスポイントだけでも完結する
    ある程度の台数は必要だが、例えばWi-Fi 6/5のメッシュWi-Fiなどで複数台のアクセスポイントが置かれた場所なら、それだけで十分センシングが可能(アクセスポイントも当然自分でCSIを取得するため、クライアントがなくても問題はない)
  • 実装が楽
    使うのは原則CSIだけなので、既存のWi-Fiハードウェアに手を入れる必要はない。より高精度なセンシングのためには、例えばCSIの解像度を8bitから10/12/16bitへ高めた方が有利だし、細かく動きを検出するにはサンプリングレートは高い方が好ましいが、これらは必須な要件ではない。そしてWi-Fi Locationと異なり、Wi-Fiのクライアントがなくても実装できる。極端な話、既存のWi-Fiルーターのファームウェアをアップデートするだけで利用できる可能性もあり、普及へのハードルが低い
  • 競合がない
    自動車なら運転手モニタリング(自動運転に絡んで、運転手がちゃんと運転に集中していることを検知する必要がある)のためにカメラベースやRaderベースなど、さまざまな技法でのモニタリングの実装が提案されているが、建物内のモニタリングについては現時点でほぼ未知というか、必要な個所に監視カメラを置くなどがせいぜいなので、ブルーオーシャンを享受できる可能性がある

 もちろん現状はDraft 0.1などのため、まだ先行して製品開発ができる段階ではないが、各社Draft 1.0が出たあたりから、既存の製品をベースにWi-Fi Sensingを実装し始めるようになっても不思議ではない。2023年あたりは、「Wi-Fiルーターを使った高齢者見守りサービス」などが登場してくるかもしれない。

「利便性を向上するWi-Fi規格」記事一覧

大原 雄介

フリーのテクニカルライター。CPUやメモリ、チップセットから通信関係、OS、データベース、医療関係まで得意分野は多岐に渡る。ホームページはhttp://www.yusuke-ohara.com/